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よろづ天道まかせで

カミ

神は漢字である。国語にてはカミ。 篤胤は『俗神道大意』でこう言う。 「漢字の神は、御国のカミと更に違(ちが)はぬ事もあれど、大かたは、謂(いは)ゆる虚字で、用(よう)の言に多く云ふて、御国の如く、実物の体言に云ふことは少いぞや。」 また『古道…

もれさりて残れるはかすのみ

おそらくは大事なことが書いてあるにちがいない書物を読んだり、教訓にあふれた人様のお話をお聞きしたりするが、どうもどんどんざるからもれて、残るものがないようなアタマなのだなと思うことがある。そういえば、二宮翁夜話の福住正兄(ふくずみまさえ)…

臆断

各種メディアに触れていると、そこを飛び交っているのが、所詮はあれこれのプロパガンダにすぎないと感じる。そんなものに付き合っていると、かえって、柳田国男が、「郷土研究ということ」で、 「我々にはとにかく臆断の哲学はない。人を教えて信ぜしめよう…

われはがお

得意満面、思い上がった高みからものをおっしゃる方のご講釈を受けるときがあるが、およそそういう方の独創やオリジナルではないことが調べるとすぐわかったりする。 「その云ふ説のよきかぎりは、多くは、吾(わが)師の説(こと)によりて云ひ出(い)でな…

みやび

ふつう「みやび」といえば上品で優雅なさまが思い浮かぶ。 しかし、神楽譜にあるという歌 「若きあれはみやびも知らず父がかた母がかたとも神ぞ知るらむ」 を見ると、ここで「みやび」は神に奉仕する意味で使われているというから、もっとわたしたちにキホン…

おのれかしこからむとのみする

宣長が、かの国について言及していることはいまもそのまま妥当するのかもしれない。 「かの国は・・・いと上代よりしてよからぬ人のみ多くて、あぢきなきふるまひたへず、ともすればば民をそこなひ、国をみだりて、・・・それをしづめ治めむとては、よろづに…

うごく

「感ずるとは、俗にはよき事にのみいへども、さにあらず。感字は字書にも動也と註し、感傷感慨などヽもいひて、すべて何事にても、事にふれて心のうごく事也。」 (本居宣長、『石上私淑言』) 世の中が動いているようで感ずることが多い。そう感ずるのもま…

意義を全うする

「仮名は、一字一音を表してゐる。・・・二字、三字、或はその以上を連結せねば意義を全うし得られない。・・・従つて、孤立的であつたものが、こゝに於いて連続的とならざるを得ないこととなつた。・・・自づから各處に集団が出来るのである。即ち接続しな…

要路

多事多難な時代。しかし課題の解決に取り組める人材は日本にはまだまだいらっしゃるはずと思う。テレビのニュース番組をみていたら、大臣になる方々の予想を流していた。こうした要路にある方々には、有能な方々を発掘し、登用して日本の諸課題の解決が少し…

別の権

選挙の日だなあ。 で、どうするか・・・孫文の言葉を思い出す。 「民権政治の機械は百年あまりも用いられているのに、こんにちなお選挙権が一つあるにすぎないのだ。選挙権が長いあいだたっているのに、そのほかの進歩はさっぱりみられないのである。選挙さ…

作略

政治家の動きがニュースで流れる。さぞや作略や策略をめぐらせているにちがいない。 西郷南洲遺訓の言葉がチト思い出される。 「作略(さりやく)は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其迹(あと)を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る…

上見れば

うえのほうを見上げ、仰ぎ見ると、たとえば政治家なら、いかにも言葉は軽く、舌先三寸か、と思わせる。原発もゼロにするはずが、原発建設が進む。国民に信を問うはずが、自己保身のためか、その気はさらさらなさそう。このくには選挙の日だけは民主主義国だ…

人ヨリ発シ、人ニ帰ス

どうやら、停止中の原発、大飯にとどまらず次々、再稼働していくらしい。私欲に溺れた妄行というべきか。安藤昌益の『自然真営道(稿本)』、巻四の言葉を思う。 「・・・天災ト云フハ、天、私ニ之ヲ為ス者ニ非ズ。人、私欲ニ溺レテ天道ヲ盗ミテ妄行ヲ為シ、…

産霊神

まあ宗教的なことにすぎないかもしれないが、日本人のふつうの心像風景にある神道的な世界が、いかに万物を掌る八百万、こんにちふうにいえば環境かもしれない、それを大事にしているかが、佐藤信淵の『経済要録』から理解できる。佐藤は平田神道の人間であ…

冗員

官僚を削減するというのはいつの時代も難しいようだ。明治6年、木戸孝允(きどたかよし)が大久保利通(おおくぼとしみち)と仲が悪くなって、そのあてつけに、新政府に辞表を出したが、そのとき、三條實美(さんじょうさねとみ)に宛てた書翰のなかに下記…

泰きに居ても

二條教基のよく知られた一首に 君が世の泰きに居ても苦しきはあやふき民の心なりけり がある。 じぶんは大君の御代のおかげで地位安泰であるが、心苦しいのは民の心のあやういのを思うからだと詠うわけだ。なにがあやうい民の心かといえば、嚮背反覆(こうは…

公議輿論

新聞を購読するのを止めた。ネットで読むように変えたから。しかし有料のところは敬遠して無料の情報を読みあさる流儀。それでも、特段、不都合は感じない。 加えて、ネットでは実に様々な見解が流布されていて、おもしろいし、参考になる。 大手のマスメデ…

一個人の味を知らず

福沢諭吉は『文明論之概略』で、日本の人間交際では「独(ひとり)一個人(いちこじん)の味を知らず」と言っているが、好きな言葉だ。 「日本の人間交際は、上古の時より治者流と被治者流との二元素に分れて、権力の偏重を成し、今日に至るまでも其勢を変じ…

元気

我が国はいま元気があるのかな。国の元気は一人ひとりの元気の集まったものだろうから、私たち一人ひとりに元気があるのだろうかなということでもあるか。 かつて板垣退助は立志社設立書のなかでこう言っていたなあ。 「夫れ天下の元気存すれば、即ち其国強…

終日得閑

大騒ぎしてきたソーシャル・ネットワークもSNS疲れを言う声が出てきた。当たり前と思う。人恋しく、寂しさ募るときもあり、それを解消する人付き合いもあるが、付き合ってばかりいては煩わしい。嫌になることもある。始終お付き合いというわけにはいかない。…

己の世の中

森鷗外は渋江抽齋の伝記で、彼が亡くなる頃の話として、こんなことを紹介している。抽斎が幕府に召されることになり、かといって恩ある津軽家を辞するわけにもいかない。そこで病気と言い訳して幕府の求めを辞退し、そういったからには、津軽家のほうも辞め…

三叉の岐路

「・・・、現代は危機眼前に迫れる行詰りの有様である。然れども此の行詰りは、之を之儘押し進み得らるべきものであろうか、将た之を切り捨てて新らしき生路を求む可きものであろうか、否らざれば更に前代をたどり、其の古来の成俗に由る、我々の血となり骨…

倦憊

森鷗外は、北條霞亭の伝記を書くなかで、その書簡をひいて、こう言っていたなあ。 「『・・・多事、いづかたへも出不申、日々講業に逐れ候計、おもしろくもなんともなく候。』日常生活に倦めるものの口吻である。・・・人の性情には時代もなく国境もない。・…

足助重春

テレビで吉野を取り上げたCMが流れている。そうか、いつか吉野の桜も見てみたいものだと思いつつ、南北朝のころの南朝だなとも思う。なんだか歳を重ねきているので、南朝方で、後醍醐天皇に従い、六波羅に捕えられ斬首された足助三郎重範の子孫、重春の一首…

大小両名の母

なにごともほどほどがよいと思っているが、それは中庸を重んずることになるかなと思っている。 二宮尊徳が中庸につき、「青木村無利五ヶ年賦貸付準縄帳の跋」で、こう言っているのは、奥の深い言葉で好きなもののひとつ。 「程子曰『不偏之謂中、不易之謂庸…

上に上があり升

「主義だの、道だのと云つて、只だ是れ計りだと、極めることは、私は極嫌ひです。道と云つても大道もあり、小道もあり、上に上があり升。其の一つを取つて、他を排斥すると云ふことは、不断から決して為ません。人が来て、色々八釜しく言ひ升と、『さう云ふ…

誰が為てもいゝ

「何でも、己が為さう為さうと云ふのが、善くない。誰が為てもいゝ。国家と云ふものが善くなればいゝ。」 (勝海舟、『海舟座談』、岩波文庫、p.44.) 特段、国家でなくとも、企業や団体、プロジェクト、なんであろうが事をなそうとするときには言えることか…

衆星共之

いうまでもなく北辰とは北極星のことだが、政治に従事する人たちの集まりにもこの言葉を使うところがあるようだ。 森鷗外が書く渋江抽齋の伝記のなかにも、渋江の人に諭すところとして下記のようにあるそうだ。 衆星之に共(むか)うのが北極星。「人は皆奈…

萎微

『海舟座談』の下記のくだりを読むと、あまりに事情に詳しく、時局の動きに通じているのも考えものなのかもしれないと思う。 「昨日は千駄ヶ谷へ行つて、道はわるし、ヒックリかへらふとするし、夫で考へてゐて、おかしくなつて豁然(かつぜん)大悟したよ。…

時勢

『海舟座談』に、二宮尊徳に触れている箇所があることを知る。メモしておきたいと思った。 「△二宮金次郎先生は、御承知でしたか。 一度会つたッけ。至つて正直な人でした。あのやうな時には、あゝ云ふ人がよく出るものです。何人か、人をやつたッけ。あゝ云…