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よろづ天道まかせで

2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

臆断

各種メディアに触れていると、そこを飛び交っているのが、所詮はあれこれのプロパガンダにすぎないと感じる。そんなものに付き合っていると、かえって、柳田国男が、「郷土研究ということ」で、 「我々にはとにかく臆断の哲学はない。人を教えて信ぜしめよう…

われはがお

得意満面、思い上がった高みからものをおっしゃる方のご講釈を受けるときがあるが、およそそういう方の独創やオリジナルではないことが調べるとすぐわかったりする。 「その云ふ説のよきかぎりは、多くは、吾(わが)師の説(こと)によりて云ひ出(い)でな…

みやび

ふつう「みやび」といえば上品で優雅なさまが思い浮かぶ。 しかし、神楽譜にあるという歌 「若きあれはみやびも知らず父がかた母がかたとも神ぞ知るらむ」 を見ると、ここで「みやび」は神に奉仕する意味で使われているというから、もっとわたしたちにキホン…

おのれかしこからむとのみする

宣長が、かの国について言及していることはいまもそのまま妥当するのかもしれない。 「かの国は・・・いと上代よりしてよからぬ人のみ多くて、あぢきなきふるまひたへず、ともすればば民をそこなひ、国をみだりて、・・・それをしづめ治めむとては、よろづに…

うごく

「感ずるとは、俗にはよき事にのみいへども、さにあらず。感字は字書にも動也と註し、感傷感慨などヽもいひて、すべて何事にても、事にふれて心のうごく事也。」 (本居宣長、『石上私淑言』) 世の中が動いているようで感ずることが多い。そう感ずるのもま…