a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

2011-01-01から1年間の記事一覧

としのくれ

昨晩、震災・津波を回顧して、落命した方々の経緯をテレビが放送していた。忘れることのできない映像だった。 年の暮れ、被災地に帰郷している方も多いだろうが、古郷に戻った方々も、被災地で苦闘してきた方々も、肉親を失った人たちの場合、そのお気持ちは…

一年二年(ひととせふたとせ)に在らず

今年、いろいろあったけれど、放射能汚染とともに生きることになった年だったなあ。自然や農業は大きな打撃を受けた。その恵みによって生きる人間も同様。 龍田風神祭(たつたのかぜのかみのまつり)の祝詞の言葉が重い。 「・・・五穀物(いつくさのたなつ…

見物

震災からの復興のこともあり、今年ほど、地方自治について考えさせられたことはない。石橋湛山は大正14年に「市町村に地租営業税を移譲すべし」でこう書いていた。 「・・・地方自治体にとって肝要なる点は、その一体を成す地域の比較的小なるにある。地域…

言葉

今年は震災・津波・原発事故と一大災厄の年であった。そうして人々は改めて人の絆の大切さを知ったといわれる。たしかにそうだなと思う。しかしこの言葉を聞き、見かけるたびに思い出す議論がある。それは明治45年に石橋湛山が「問題の社会化」という評論…

国家の宝

なにが大事か、宝と言われるべきはなにかにつき、武陽隠士、『世事見聞録』には明快にこうあるなあ。 「当世、金持といへば国家の宝の如く心得、上下ともこれを贔屓しこれを尊敬して憎むものなし。国家の宝といふは農民の事なり。金持は世の潤沢を犯し奪ふ大…

困難

ニュースなどを見ていて、我が国は外交がへたなのだなと感じるときがある。そんなとき、福沢諭吉の『文明論之概略』にある言葉を思い浮かべる。 「・・・外国交際は我国の一大難病にして、之を療するに当て、自国の人民に非ざれば頼む可きものなし。其任大に…

距離

努力を重ねて学び、評価し来ったものとの距離を感じ始めるときがある。それを人生においていちはやく感ずる者もあれば、遅れに遅れ、人生の黄昏においてそうなる人もいよう。距離とは努力して近づこうとしたものからの逸脱であり、歪み、曲がりに由来するの…

青空

今日は休日、しかも好天、青空である。ふと、尾上八郎の『日本書道と日本精神』(昭和15年)にある一文を思い出す。 「我が国では、革命などといふ不祥事はない。戦乱はあるが、甚しく長い事はない。大空に雲のかゝる如き時勢の変態はあるが、天風一過すれ…

仕損じる

「・・・小判商より知(しり)たる小ぬか商がましといふに違(たが)ハす 然(しか)れ共此商に掛(かゝ)りて大損に逢(あ)ひ此損銀をおしく取かへさんとて次第に損(そん)重(かさな)り終(つい)に身上を仕損して・・・」(『商家秘録』) まあ秘録に…

変なる事

世界も我が国も激変の予感のなかにあるようだ。 本居宣長の下記の言葉(『秘本玉くしげ』にあり)を思い浮かべる。 然れ共ものはかきり有て、のほりきはまる時は又おのつから降ることなれは、いつそは又、本へかへる時節も有へきに、されと、此世上の奢りな…

遺跡案内

好天。次の休日が来てこんな好天であれば、どこかに出かけたいと思い、ふと、小田原近辺の尊徳関係の遺跡を訪ねてみようかと考える。もう40年以上前になるか報徳二宮神社社務所が配布されていたパンフレット、「報徳二宮神社略記」をひっぱりだす。遺跡案…

腹のなかに針

自由民権運動の歴史を調べると、大阪事件に関与して投獄された憂世愛国の女志士に福田英子がいることを知る。事件当時、19歳。獄中で有名な「獄中述懐」を書いている。本人の後に回顧するには「狂者の言に近い」そうだが、名文である。原典がないので、和…

千変万化の奸計

OWSの運動がどう広がり展開していくかに関心があるが、そのさいに思い浮かぶのが、佐藤信淵の『垂統秘録』における「天下の貨財、其七分は豪家に併呑せられ、世界は偏重をなし、貧富片落しにのみ運動する勢」となった現実への批判の一文。 「夫れ万民を使役…

高遠深長

加藤仁平編著の「二宮翁夜話読本」(報徳同志会新書(改定版)、昭和48年)を手に取る。平易な文章にしてあるのでわかりやすい。福住正兄の夜話自跋の文章が改めて目に止まる。 「道は高遠にあらずして平易なり。空理にあらずして、実地なるが故に、知りが…

道話社中

東日本大震災で多くのボランティアやNPOなどが活躍してきている。世の中、人心に貢献する篤志の姿に勇気づけられる。こうした社会的取り組みや事業につき、かつて大川周明は『日本精神研究』のなかで、心学者石田梅岩(石田勘平)に言及し、その流れを汲む京…

磨種(とぎぐさ)

世の中には解決が難しい課題も多い。これらに取り組むに、あれがよい、これがいいと解決策を提供してくれる考えを探しながら、あれもだめ、これも無力と遍歴し、必ずやどのような課題であれ解決しうる万能の答えがあるはずと探し求める方がいる。そんな万能…

子育て

上杉鷹山の「補儲訓」にはこんな文章もあったなあ。 「子を育て候事も、花樹に培するが如くなる事に候。春を待ちて莟める花を、年の内より咲かせんと、色々種々の手入をし、室に入れ火にあて候へば、其花咲くと雖も、陽和の時を得し花樹に比し候へば、其色香…

湯船の湯

二宮尊徳の風呂水の哲学の実践者、大内暢三の資料はここにメモしておいたけど http://d.hatena.ne.jp/a1ma1m/20090225/1235487801 尊徳翁の言葉をメモして置くのを忘れてた。 「近く譬れば、此湯船の湯の如し、是を手にて己が方に掻けば、湯我が方に来るが如…

逆張り

「米も弱く、人気も弱く、我も売りたき時は、心を転じて買方に廻るべく、又米も強く、人気も強く、我も亦買たき時は、極めて天井なるものなれば、心を転じて売るべし。 人西に走る頃、東に走れば、極めて利運なり。然るを人の戻る頃、遅れ馳せに、西に走りて…

三日

「又商内進み急ぐべからず、急ぐ時は踏出悪しきと同じ、売買共、今日より外、商内場なしと進み立つ時、三日待つべし、是伝也。急に儲くべしと、商内を急ぐ時は、日々の高下に迷ふ故、相場を追掛け追掛け商内致す故其度毎に損出る也。」 本間宗久の言うこの伝…

自得

上杉鷹山は、「補儲訓」のある条りでこういっていた。 「総て教と申すものは自得を貴び候事に候。一隅を挙げて三隅を反すとも之れあり。憤せざれば啓せず悱(ひ;いらだつという意味)せざれば発せずとも之れあり候。強いて此方よりの仕込にては、必ず向ふへ…

任せて安心

仕事に追い回され、政治のことに四六時中関心を示すことができるほど暇ではないのが実際。政治家がなにをしているかは、それがじぶんの生活に関係が深いことほど関心はあるが、詳しくその動きを追えるほどでもない。そこで、むしろ人によっては、政治家がど…

無音の教え

「父母の膝下に同胞(はらから)と団欒した幼時の思ひ出に、まづうかぶものは、見なれた額や掛物、手なれた器である。これ等に依つて朝な夕なに受けた無音の教を思ふ時、生活の中心は実に茶の間である。ここの生活を真実にしなければ吾々の一人一人真実者た…

修養

奥田正造は『爐邊閑想』(文部省教学局編纂、日本精神叢書二十七、昭和15年)で、茶道について語るにつき、こう言っていた。 「・・・我が身の訓練を主とする時、精巧な文明の利器よりは原始的のものの方がありがたいと思ふ。不便であるべきものを不便と感…

自家の痛痒

権藤成卿の農村自救論、第四講、俗尚、一、 公同の概念の部分は、重要な議論と推測できるが、検閲削除が多くて、ほとんどわからない。まあ、それはそれとして、昨今のテレビを見ながら感じていることを、言ってくださっているかのごとき、一文あり。 「・・…

天道まかせ

暑い毎日。節電の夏だから扇風機にあたりながら、暇をみて読書ぐらいが楽しみか。仕事がらみで処理しなければならぬ情報がないわけではないが、特別急ぐような気にもならない。考えてみれば、なにか成果を上げ、人様のお褒めにあずかろうという年齢でもない…

襤褸甕戸

北條霞亭という人物に関心はないが、森鷗外が伝記を書いているので読んだ。彼の文章に、 「・・・何国にても貧富の違に而(のみ)、千金を芥にいたし候者も、また銭百文も持不申者も有之、不同の世也。貧人が富人をうらやむといふは愚者の常なれど、これほど…

備道

安藤昌益につき弟子が評していうなかに、こうあるなあ。 「備道のことは問・不問、勧・不勧に拘らず、之れを勤めて 止むこと無し・・・」(自然真営道、大序) ここで備道とは各自に備わった道、それについては人が尋ねようが尋ねまいが、人に勧められようが…

耕者不読読者不耕

「田地ヲ多ク所有スル者ハ手ヲ懐ニシテ只管(しかん:ひたすらの意)小作ノ収入高ヲ算スルニ止マリ自耕スル者ハ至テ寡シ偶(たまたま)之アリトスルモ夥多(かた)ノ農婢耕僕ヲ使役シ優遊自適ニ歳月ヲ送ルニ外ナラス其見ル処聞ク処所謂作人ナルモノハ眞ノ労…

手足

震災から二か月経ちました。復興に向けて多くの人たちが、手足を動かし汗を流しています。白河出身の儒者、広瀬蒙斎(ひでなり)が農学者大蔵永常の『農具便利論』に寄せた序、末尾にある文章を思い出します。 「曰く、器械何を以てか之を運(めぐ)らす。手…