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よろづ天道まかせで

自得

上杉鷹山は、「補儲訓」のある条りでこういっていた。

「総て教と申すものは自得を貴び候事に候。一隅を挙げて三隅を反すとも之れあり。憤せざれば啓せず悱(ひ;いらだつという意味)せざれば発せずとも之れあり候。強いて此方よりの仕込にては、必ず向ふへ入ること浅きものに候。只此方よりは其緒のみを示し、向ふの様子次第に随つて、段々導き候事。鐘の響に応じ候如く之れあり度候。何とやら手緩き事の様に思はれ候へ共、之を教の術とは申候。」

なるほどなあと思う。
教えられるばかりの人間なので、こうしたすべを心得た優れた教え手に出会う幸運があれば、自分にもうまく自得していく端緒や発奮のきっかけが与えられるのにと、勉強の足りないのを人様や機会を得られぬ不運のせいにしてみたりもする。どうもいかんなあ。