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よろづ天道まかせで

2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

一個人の味を知らず

福沢諭吉は『文明論之概略』で、日本の人間交際では「独(ひとり)一個人(いちこじん)の味を知らず」と言っているが、好きな言葉だ。 「日本の人間交際は、上古の時より治者流と被治者流との二元素に分れて、権力の偏重を成し、今日に至るまでも其勢を変じ…

元気

我が国はいま元気があるのかな。国の元気は一人ひとりの元気の集まったものだろうから、私たち一人ひとりに元気があるのだろうかなということでもあるか。 かつて板垣退助は立志社設立書のなかでこう言っていたなあ。 「夫れ天下の元気存すれば、即ち其国強…

終日得閑

大騒ぎしてきたソーシャル・ネットワークもSNS疲れを言う声が出てきた。当たり前と思う。人恋しく、寂しさ募るときもあり、それを解消する人付き合いもあるが、付き合ってばかりいては煩わしい。嫌になることもある。始終お付き合いというわけにはいかない。…

己の世の中

森鷗外は渋江抽齋の伝記で、彼が亡くなる頃の話として、こんなことを紹介している。抽斎が幕府に召されることになり、かといって恩ある津軽家を辞するわけにもいかない。そこで病気と言い訳して幕府の求めを辞退し、そういったからには、津軽家のほうも辞め…

三叉の岐路

「・・・、現代は危機眼前に迫れる行詰りの有様である。然れども此の行詰りは、之を之儘押し進み得らるべきものであろうか、将た之を切り捨てて新らしき生路を求む可きものであろうか、否らざれば更に前代をたどり、其の古来の成俗に由る、我々の血となり骨…

倦憊

森鷗外は、北條霞亭の伝記を書くなかで、その書簡をひいて、こう言っていたなあ。 「『・・・多事、いづかたへも出不申、日々講業に逐れ候計、おもしろくもなんともなく候。』日常生活に倦めるものの口吻である。・・・人の性情には時代もなく国境もない。・…

足助重春

テレビで吉野を取り上げたCMが流れている。そうか、いつか吉野の桜も見てみたいものだと思いつつ、南北朝のころの南朝だなとも思う。なんだか歳を重ねきているので、南朝方で、後醍醐天皇に従い、六波羅に捕えられ斬首された足助三郎重範の子孫、重春の一首…

大小両名の母

なにごともほどほどがよいと思っているが、それは中庸を重んずることになるかなと思っている。 二宮尊徳が中庸につき、「青木村無利五ヶ年賦貸付準縄帳の跋」で、こう言っているのは、奥の深い言葉で好きなもののひとつ。 「程子曰『不偏之謂中、不易之謂庸…

上に上があり升

「主義だの、道だのと云つて、只だ是れ計りだと、極めることは、私は極嫌ひです。道と云つても大道もあり、小道もあり、上に上があり升。其の一つを取つて、他を排斥すると云ふことは、不断から決して為ません。人が来て、色々八釜しく言ひ升と、『さう云ふ…

誰が為てもいゝ

「何でも、己が為さう為さうと云ふのが、善くない。誰が為てもいゝ。国家と云ふものが善くなればいゝ。」 (勝海舟、『海舟座談』、岩波文庫、p.44.) 特段、国家でなくとも、企業や団体、プロジェクト、なんであろうが事をなそうとするときには言えることか…

衆星共之

いうまでもなく北辰とは北極星のことだが、政治に従事する人たちの集まりにもこの言葉を使うところがあるようだ。 森鷗外が書く渋江抽齋の伝記のなかにも、渋江の人に諭すところとして下記のようにあるそうだ。 衆星之に共(むか)うのが北極星。「人は皆奈…

萎微

『海舟座談』の下記のくだりを読むと、あまりに事情に詳しく、時局の動きに通じているのも考えものなのかもしれないと思う。 「昨日は千駄ヶ谷へ行つて、道はわるし、ヒックリかへらふとするし、夫で考へてゐて、おかしくなつて豁然(かつぜん)大悟したよ。…

時勢

『海舟座談』に、二宮尊徳に触れている箇所があることを知る。メモしておきたいと思った。 「△二宮金次郎先生は、御承知でしたか。 一度会つたッけ。至つて正直な人でした。あのやうな時には、あゝ云ふ人がよく出るものです。何人か、人をやつたッけ。あゝ云…

停止

どうも原発を少しでもはやく再稼働させたくて仕方ない人が政府の方々をはじめ、たくさんいらっしゃるようだ。そこで思い浮かぶのが、勝海舟が『海舟座談』で、足尾銅山の鉱毒事件につき、語っている次の言葉。 「鉱毒問題は、直ちに停止の外ない。今になつて…

説明

宗教がお好きな方が周囲にいるので、ふと昭和11年に権藤成卿が宗教につき語ったなかの一言が思い出される。 「吾々の立場から云えば単に不可思議観だけでは宗教と呼ぶことは出来ない。何故なら説明の出来ないところに不可思議が存するからである。これに反…