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よろづ天道まかせで

大小両名の母

なにごともほどほどがよいと思っているが、それは中庸を重んずることになるかなと思っている。
二宮尊徳が中庸につき、「青木村無利五ヶ年賦貸付準縄帳の跋」で、こう言っているのは、奥の深い言葉で好きなもののひとつ。

「程子曰『不偏之謂中、不易之謂庸。中者天下之正道、庸者天下之定理』と宣へり。夫(それ)中は増減の源にして大小両名の母。是に壱反減ずる時は彼に壱反増す。是を名付て謂大。彼に壱反増す時は是に壱反減ず。是を名付て謂小。譬ば器の中に水の漂ふが如し。元(もと)世界、昼夜自転運動して不息が故に、或は増し或は減じ、能と不能を循環する而已(のみ)。」

偏らないことを中といい、変わらないことを庸といい、中が天下の正道、庸が定理という程子の言葉を引いたうえで、中庸を彼の一円の哲学(一円相)のなかに置いている。こちらに増せば、あちらが減る、それは中から始まり、繰り返す。豊かであるとか貧乏であるとか、それらも大小増減の中によるわけだ。まるで器を傾ければ一方に増し他方に減るように。大小両名の母が中、中を維持する気持ちがなければ、器という社会は、いずれかに傾いでしまう。現在は傾ぎすぎだろうな。格差が問題にされるのだから。