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よろづ天道まかせで

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

無音の教え

「父母の膝下に同胞(はらから)と団欒した幼時の思ひ出に、まづうかぶものは、見なれた額や掛物、手なれた器である。これ等に依つて朝な夕なに受けた無音の教を思ふ時、生活の中心は実に茶の間である。ここの生活を真実にしなければ吾々の一人一人真実者た…

修養

奥田正造は『爐邊閑想』(文部省教学局編纂、日本精神叢書二十七、昭和15年)で、茶道について語るにつき、こう言っていた。 「・・・我が身の訓練を主とする時、精巧な文明の利器よりは原始的のものの方がありがたいと思ふ。不便であるべきものを不便と感…

自家の痛痒

権藤成卿の農村自救論、第四講、俗尚、一、 公同の概念の部分は、重要な議論と推測できるが、検閲削除が多くて、ほとんどわからない。まあ、それはそれとして、昨今のテレビを見ながら感じていることを、言ってくださっているかのごとき、一文あり。 「・・…

天道まかせ

暑い毎日。節電の夏だから扇風機にあたりながら、暇をみて読書ぐらいが楽しみか。仕事がらみで処理しなければならぬ情報がないわけではないが、特別急ぐような気にもならない。考えてみれば、なにか成果を上げ、人様のお褒めにあずかろうという年齢でもない…

襤褸甕戸

北條霞亭という人物に関心はないが、森鷗外が伝記を書いているので読んだ。彼の文章に、 「・・・何国にても貧富の違に而(のみ)、千金を芥にいたし候者も、また銭百文も持不申者も有之、不同の世也。貧人が富人をうらやむといふは愚者の常なれど、これほど…