a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

襤褸甕戸

北條霞亭という人物に関心はないが、森鷗外が伝記を書いているので読んだ。彼の文章に、

「・・・何国にても貧富の違に而(のみ)、千金を芥にいたし候者も、また銭百文も持不申者も有之、不同の世也。貧人が富人をうらやむといふは愚者の常なれど、これほど分をしらぬ事はなき也。心正しく行かけねば千金の子も襤褸甕戸(らんるおうこ)の人に恥候者に候。(森云。「心正しく行欠けぬ襤褸甕戸の人には千金の子恥候ものに候」の意か。)」

とある。

まあ、どこの国に行ってもカネを持っているかいないかの違いか。襤褸甕戸の人とはぼろをまとつて狭苦しい家に住んでいる人間をいうのだろう。われわれ特段悪いこともせず、心が正しいかどうかはわからないが、襤褸甕戸ではある。千金の子(金持ちのことだろう)は恥だよと思いたい。やせがまんではあるが。しかし愚者だからな〜、やはり千金を羨んでしまうか。