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よろづ天道まかせで

こころの学び

中江藤樹、『翁問答』をちょっとめくる。

こうあった。

四書五経に心と述と訓話の三つのしゃべつあり。聖賢の口にのべたまふ辞(ことば)と身におこなひたまふ事との二つを述と云、その口にのべ、身におこなひたまふところの本意の至善を心といふ也。心は無方・無体・無声・無臭にして、書付(かきつく)る事あたはざるゆへに、只あとばかりをかきつけて、そのあとのうちにふくみそなへて、後世のをしへとなせり。そのあとのうちにそなはりたる心を四書五経のこヽろといふなり。そのあとをかきのせたる四書五経の文字のことはりを訓話と云なり。其訓話をまなび、其あとをよくわきまへ、その心をよくとりもちひて、わが心の師範となし、意を誠にし、心をたゞしくすれば、聖賢の心すなはちわが心となり、わが心すなはちせいけんの心にたがはず。心、聖賢の心にたがはざれば、言行すなはち聖賢時中の言行にそむかず、かやうにまなぶを正真のがくもんと云なり。聖賢四書五経の心をかゞみとして我心をたゞしくするは、始終ことごとく心のうへの学なれば、心学とも云なり。此心学をよくつとめぬれば、平人より聖人のくらゐにいたるものにて候ゆへに、また聖学とも云なり。」

聖賢の教えは文字で表され訓話となっているが、その述と心すなわちその口に述べ、実行したことと、行いの本意の至善を知るのが大事ということかな。訓話は事後に書かれたもの、そこに述と心を学ばねばならんわけ。すべて心のうえの学びゆえ心学ということがよく理解できる文章だ。