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よろづ天道まかせで

三叉の岐路

「・・・、現代は危機眼前に迫れる行詰りの有様である。然れども此の行詰りは、之を之儘押し進み得らるべきものであろうか、将た之を切り捨てて新らしき生路を求む可きものであろうか、否らざれば更に前代をたどり、其の古来の成俗に由る、我々の血となり骨となれる潜在意識を発渙して、奮励一番此の難局に善処すべきであろうか、此の三叉の岐路は、正さに諸君の選ぶに任するが、・・」
権藤成卿、「民籍・地籍の公例」、「制度の研究」、第二巻、第五号、昭和11年。)

権藤の時代も現在も三叉の岐路に立つ危機の時代と思う。とりわけ震災は私達の血と骨の次元で受け継いできた「潜在意識を発渙し」、呼び覚ましたのではないかと感じている。しかし惰性に生きる第一の道が表面上は(とりわけ政治の次元で)続いているようにも見え、また来し方を無視し、その故なんらの根ももたず、ただ新奇な空論を叫ぶ第二の道に遊んでいるかに見える人たちもみかける。岐路に立ち、いずれを採るか時代が問うているといえる気がしている。