a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

倦憊

森鷗外は、北條霞亭の伝記を書くなかで、その書簡をひいて、こう言っていたなあ。

「『・・・多事、いづかたへも出不申、日々講業に逐れ候計、おもしろくもなんともなく候。』日常生活に倦めるものの口吻である。・・・人の性情には時代もなく国境もない。・・・」
森鷗外、「北條霞亭」、鷗外全集、著作篇、第十巻、岩波書店、昭和28年、p.210.)

日常が暇だというわけではない。日々手がける作業も多い。しかし繰り返しにすぎないなとも思う。なにか新味のあることをしたい。でないと飽きあきだという感じもする。みんなそうなんだな。