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よろづ天道まかせで

要路

多事多難な時代。しかし課題の解決に取り組める人材は日本にはまだまだいらっしゃるはずと思う。テレビのニュース番組をみていたら、大臣になる方々の予想を流していた。こうした要路にある方々には、有能な方々を発掘し、登用して日本の諸課題の解決が少しでも図られるようにしてほしいと思う。

森鷗外は渋江抽齋の伝記で、文献学者の渋江が米艦が浦賀に入り、安政2年には大地震という多事多難な状況のなか、彼が政事にくちばしをはさむことになる次第を取り上げている。彼の建議は藩内に波紋をもたらしたが、しかし、彼が用いられることはなかったと記している。

「憾むらくは要路に取つてこれを用ゐる手腕のある人が無かつたために、弘前は遂に東北諸藩の間に於て一頭地を抜いて起つことが出来なかつた。又遂に勤王の旗幟を明にする時期の早きを致すことが出来なかつた。」

けっきょく才能ある人物が活かされなかったのは、藩の要路にある人々の手腕。彼を用いなかった津軽藩は激動の時代に他藩に遅れをとることになったわけだ。

国がその要路にどのような人物を得るかは、重要なことなのだなあ。しかし、政治や行政のシステムが硬直化している現在の日本であれば、上に人物を得るだけでは足りないのかもしれない。