a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

意義を全うする

「仮名は、一字一音を表してゐる。・・・二字、三字、或はその以上を連結せねば意義を全うし得られない。・・・従つて、孤立的であつたものが、こゝに於いて連続的とならざるを得ないこととなつた。・・・自づから各處に集団が出来るのである。即ち接続しながら、集団を作つて行くのである。従つて、連続的であつて、しかも集団的である結果を生ずる。」

仮名の発明につき、尾上八郎が『日本書道と日本精神』でこう述べているが、これは私たち一人ひとりにも当てはまるなあ、と思う。

孤立した仮名が意義を全うできないように、私たちもそうだといえる。たとえ孤立してさえ、我が意義を十全にすると強弁する人がいても、その意義は十分ではないだろう。

手を繋ぎ、連続するなかで、己れをそこに置く集団が得られ、そのことによって意義を全うできるわけだ。