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よろづ天道まかせで

己の世の中

森鷗外は渋江抽齋の伝記で、彼が亡くなる頃の話として、こんなことを紹介している。抽斎が幕府に召されることになり、かといって恩ある津軽家を辞するわけにもいかない。そこで病気と言い訳して幕府の求めを辞退し、そういったからには、津軽家のほうも辞めざるをえなくなる。それで隠居を決めたときのことである。亡くなったのは54歳だから、そのころのことだろう。

「父は五十九歳で隠居して七十四歳でなくなつたから、己も兼て五十九歳になつたら隠居しようと思つてゐた。それが只少しばかり早くなつたのだ。若し父と同じやうに、七十四歳まで生きてゐられるものとすると、これから先まだ二十年程の月日がある。これからが己の世の中だ。・・・」
森鷗外、『渋江抽齋』、改造文庫、昭和15年、p.127.)

私も父親のことを思い浮かべるようになった。同じくらい生きられるとするとあと何年あるかと、人生の残り時間を計算するからだ。しかし父親と同じようにいくとはかぎらない。抽斎は安政の騒然たる世相のなか、これからがじぶんの世の中だと言って、じぶんの仕事を完成し、それから「自分の為事に掛かるのだ」と心に決めたが、おそらくは当時流行ったコレラに罹ったのであろうか、安政五年に逝去することになる。
いま団塊の世代はリタイアし終わったころであろう。さあ、「己の世の中だ」と考えている人も多いにちがいない。あと何年はあるだろうと想像し、なしたくてなしえなかったことに手を付けはじめているかもしれない。そうした羨むべき生活も、いつ突然、永久に中断されてしまうかわからない。じぶんの世の中、日々に、大事にすごしていくことが大事か・・・