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よろづ天道まかせで

終日得閑

大騒ぎしてきたソーシャル・ネットワークSNS疲れを言う声が出てきた。当たり前と思う。人恋しく、寂しさ募るときもあり、それを解消する人付き合いもあるが、付き合ってばかりいては煩わしい。嫌になることもある。始終お付き合いというわけにはいかない。
ちょうど今頃、旧暦四月、卯月(うづき)である。 大よそ新暦で言うなら4月20日から5月20日頃がそれだから、夏の始まりとされる季節に入っている。松尾芭蕉が嵯峨日記で、「我貧賤をわすれて静閑(ニ)楽(たのしむ)」と書いた季節だ。その廿ニ日の日記にこうある。

「独住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし。長嘯隠士(ちょうしょういんし)の曰、『客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ』と。素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、
 うき我をさびしがらせよかんこどり
とは、ある寺に独(ひとり)居て云し句なり。」

ここで隠士のいう閑は間でもあろう。客が来て半日の時間を得れば、迎えるあるじはその半日を失う。人とのつながり、付き合いが要求する時間というものがある。独りでいたいときもある。付き合いは閑古鳥が知らせてくれるか(^^)。
廿七日の日記にこうある。

「人不来(きたらず)、終日得閑(かんをえたり)」

終日静かな独りの時間を得るのは至福というべきだろう。
もっとも、その翌日か翌々日には寂しさを感じて人恋しくなるのだろう。客人よ、閑古鳥の鳴くころを選んできてくれ〜。SNSも同様なんだなあ。