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よろづ天道まかせで

磨種(とぎぐさ)

世の中には解決が難しい課題も多い。これらに取り組むに、あれがよい、これがいいと解決策を提供してくれる考えを探しながら、あれもだめ、これも無力と遍歴し、必ずやどのような課題であれ解決しうる万能の答えがあるはずと探し求める方がいる。そんな万能の考えはないと思っているが、そういう方にお会いすると思い浮かべるのが石田梅岩の言葉。

「假令儒家に学ぶといふとも、学び得ざれば益なし。仏家を学ぶとも我心を正しく得るならば善かるべし。心に二つの替りあらんや。仏家に習へば心が外に替るものと思ふ者は笑ふにもまた絶えたり。仏家も最初は儒学より入る僧多し。儒書が妨げになりて仏意を得ること成り難きことを聞かず。儒者も其如くに、仏法を以て心の磨種(とぎぐさ)にして心を得て、何ぞ儒家の妨げとなるべきにや。・・・」

「一法を捨てず一法に泥(なづ)まず」とも梅岩はいうが、なんであれじぶんの心を磨くとぎぐさと思えば、それぞれの優劣にこだわり、ひとつひとつ捨てていき、最高と信心できるものに向かって彷徨う姿勢はもったいないことだなと思う。

名医を比喩に、こうも言っていたなあ。

「名医は何にても病の癒ゆべきものを用ゐて疾を癒やし、諸薬を悉く遣ひ覚えて療治するこそ善かるべけれ。古へより薬種として出だし置かるゝ物、何ぞ棄つることあらんや。一も捨てず、一に泥まず、能く用ゐるは名医なるべし。・・」

けっきょく、病を癒すのが課題であったのだ。