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よろづ天道まかせで

国家の宝

なにが大事か、宝と言われるべきはなにかにつき、武陽隠士、『世事見聞録』には明快にこうあるなあ。

「当世、金持といへば国家の宝の如く心得、上下ともこれを贔屓しこれを尊敬して憎むものなし。国家の宝といふは農民の事なり。金持は世の潤沢を犯し奪ふ大罪人なり。当時、三都そのほかの豪福等が世の潤沢を取り上ぐるところ莫大の事にて、彼は一日に何百両づつ納むる、・・・延べ何万両づつ余りゆくなどといふもの所々に出来て、昼夜を止まず、世界融通の金銀を締め込みて、数千万人に難儀を負はするなり。国賊の張本なる者なり。」

カネを貯め、世の中から流通手段として役立ち、世の潤沢を保障する貨幣を引き上げ、締め込むのがカネ持ちと。その意味で世の潤沢を奪う。今日では、こうしたカネは金融商品などに流れ、世界金融の投機の現場で悪さをするのだろう。繰り返される「世界融通」の炎上で、惑星上の人類が難儀する。豊さは具体的な富を作り出すことにこそあろう。その意味で、「国家の宝といふは農民の事なり」とはよい言葉だ。儒学の教え、勧農抑商を超えた含蓄ありだな。