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よろづ天道まかせで

言葉

今年は震災・津波原発事故と一大災厄の年であった。そうして人々は改めて人の絆の大切さを知ったといわれる。たしかにそうだなと思う。しかしこの言葉を聞き、見かけるたびに思い出す議論がある。それは明治45年に石橋湛山が「問題の社会化」という評論で書いているものだ。

「・・・近頃の文壇には「生」とか、「味(あじわ)い」とか、「創造」とか、「誇り」とか種々の新しい言葉があるが、これらの言葉は果してどれほどの積極的の内容をもっておるかということである。例えば、我らは「生を味わわんとす」という時に、具体的に、その「生」とはそもそも何を指し、「味わう」とはそもそもどうすることをいうのであるか。おそらくはリープクネヒトをしていわしめたならば、そは「ただ総ての希望を覆い包める伝習的の言葉にすぎぬ」といいはしないかと思う。この点において私は今の文壇の言論にはなはだあきたらず思う。」

震災を通して人が確認し、望む絆とは、人や家族や地域社会の数だけあるだろうと思う。やはりその大切さを思いつつ、それに具体的に思いを及ぼすことも復興のこれからを考えるとき大事なことかなと感じられる。その積極的な内容が成ったとき、復興もまた成るということかもしれない。