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よろづ天道まかせで

2012-01-01から1年間の記事一覧

心眼心耳

松尾芭蕉のいわばスポンサーで蕉門俳人の杉山杉風につき、村上鬼城は「杉風論」を書いているが、そのなかに、 「凡そ事物を見聞するに誰しも耳目を以て見聞すると思ひ居れども、実は、一、耳目をもつてすると、二、心眼心耳を以てすると二つあり。 而して人…

手立てと力

特段、才知才覚が優れているわけではない。それでも力を出し、ふんばって事をなそうと努力をするが、成果はさほど期待できない。それで、それを周囲の条件や偶発的災難のせいにしてしまいがち。じぶんに、事をなすに才知才覚なく、知に暗く、なにかをするに…

ソーシャル

とにかくSNSが不可欠の生活になってきた。何年か前からツイッターを始め、friendfeedやfacebookなど利用させていただいてきたが、それなりに順次飽きてきて、それでも次々に、新たなサービスが生まれているから、飽きたからといって、ソーシャルなサービ…

社交の情操

3月11日である。あらためて、陸前高田、奇跡の一本松の写真を見る。 陸前高田 一本松 この松の木がいかに人に勇気を与えてきたか、そんな思いのなか、かつて西周が、国民性(ナショナリティ)と郷土愛(パトリオチック)につき、大なる社交の情操として述…

仮の物

「何事も詞の意をよくよく考ふべし。文字は全く仮の物にて、其義をふかくいふにもおよぶまじき事也。然るに、人みな此ことわりをわきまへず。文字を主として、古言をば仮の物のやうに心えて、よろづをいふ故に、ひがこと多し。」 (本居宣長、『石上私淑言』…

よその事

一年前の震災の日が近づいてきた。この一年、なによりも問われたのはモノを感ずる力であったのだろうと思う。 「又人をあはれとおもはする功徳をいはゞ、まづ民(タミ)をおさめ、国をまつりごつ人は、なべての世の人の情(コヽロ)のやうをくはしくあきらめ…

外に出ている

外出の予定がある。しかし外は雨だ。それに寒そうだ。外に出てみて様子をみる。 「寒さを感ずるとき、我々自身はすでに外気の寒冷のもとに宿っている。我々自身が寒さにかかわるということは、我々自身が寒さの中へ出ているということにほかならぬのである。…

味わう

「人皆損はすれども其損するゆゑんのしらず。あやまてども其あやまつ本をしらず。人皆益(ゑき)はほつすれども其益するゆゑんをしらず。いわゆるくらつてあぢわひをしらざるなり。あヽかなしひかな」 米相場、秘伝の書、「八木龍の巻」にある一文。 誰でも…

皆己れを利せんが為

かつてであれば中国、昨今であれば欧米か、文明も早くに開け、そこにはよろしき教えがあって、ひとによっては崇拝しもし、尊重もするのだろう。しかし、それほど立派であるなら、その社会や政治経済の有り様、まことにすばらしいと思いきや、どうやら、さに…

ヒタル

安藤昌益、『統道真伝』の「一人(ヒトリ)と言う所以」を説いた箇所に、こうあった。 「和訓に一人と言うは日足(ヒタル)なり。日は自然の大進気にして、転定(てんち)・人・物の統主なり。此の妙徳の用を行うは人に具わる。」(岩波文庫、33-007-2、p.11…

心を万方にはせて

『商家秘録』、第三十四の米相場世諺(せげん)の一にある、 「・・・我一国一郡の事を以諸国の事を計(はか)る可らす 心を万方にはせて思慮(しりよ)すべし・・・」 という言葉は好みだ。自国も隣国も豊年のとき、そうした状況をみて自然と気弱になって値…

金次郎像

金次郎像 https://plus.google.com/u/0/?tab=mX#112544367178119568245/posts/UcSh1H7hDnL

つかむ

たよりにつかむ

世論

「・・・演劇、浄瑠璃、小説等盛んに行はれ・・・是等のものは固より当時社会の風教を変んと欲するの卓見を以て作り出だされたるものにあらず、全く社会の風教を其儘に写し出せるものとして見るべきならん。・・・されば社会に行はるゝ輿論は、常に英雄豪傑…

尊徳のお救い小屋は天性寺(テンショウジ)

冬の好天が続く休日なので、昨日、尊徳の烏山仕法を勉強し直していることもあり、那須烏山の天性寺を訪ねてみた。天保の飢饉のさい、飢民救済のお救い小屋を尊徳仕法の実践者、円応和尚が運営したことでよく知られている。私の場合は宝積寺で烏山線に乗り換…

世の事情に由りて

多くの人が成功を目指して今年も、仕事に事業に臨む。なにゆえそうした血気に生きるのかといえば己が生存のため、そうしてまたなにをもって成功となすかは、世人という判定者の評判に照らして大きな成果をあげたかにあるのだろう。世人の重きを置かぬ事業に…

心静か

静かな元旦だった。心も静かに保てたかな。今年も経済はかなり厳しい局面を迎えるのだろう。カネを抱え、さらにカネを求める人たちには心休まらぬ一年が始まったといえるのかもしれない。そういえば芭蕉の『野ざらし紀行』濁子本にある素堂による跋文はこう…