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よろづ天道まかせで

仮の物

「何事も詞の意をよくよく考ふべし。文字は全く仮の物にて、其義をふかくいふにもおよぶまじき事也。然るに、人みな此ことわりをわきまへず。文字を主として、古言をば仮の物のやうに心えて、よろづをいふ故に、ひがこと多し。」
本居宣長、『石上私淑言』、上巻、雄山閣文庫、昭和12年、p.46.)

ネットが生活に不可欠になってから、文字に触れる機会が格段に増えたように思う。まず文字から入ってくるものが多くなったわけだが、それによっても伝える人の空気が感じられないわけではないが、文字表現は、環境を共にして、ナマでお付き合いするなかで伝えられる詞に勝りはしないなあ。やはり「言を主とし、文字を僕従としてみるべき事也。よくよく事の本と末とをわきまふべき」なのだ。テレビで大震災の被災者の言葉を見聞きしながらそう思った。映像なんぞでもなく、直接、場所を同じくしてその言葉を聞いたならば、なおのこと心に浸みたにちがいない。