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よろづ天道まかせで

行政式仕法と結社式仕法

残念ながら人はそのときそのとき、特定のステータスを得て役割を果たしている。そのステータスが納得のいかない人も多いだろうし、位を変え、上位に登らんと努力するのも人間というものか。自らの処遇されるを変えんとする意欲をもち、そのために動くことがあるにしても、どの時点でみてもあるステータスを占めていることに違いはない。

そうしてその位に素してなすべきをなし、その役割をはたすほかない。これは同じ目標をもっても、その人の得た時と所によって仕方に違いが出てくることを示している。

尊徳の門人、福住正兄は「富国捷径」のなかで行政式仕法と結社式仕法の区別についてこう語っていた。もちろん前者は官、後者は民の位に素しての方法規定だ。

あるひとが又たずねる。自分はかつて福島県に行って、富田高慶に面会し、この道を問うたことがあるが、その説はあなたの説とは大いに相違して、結社というようなことはなかった。一つの報徳の道で、こんなに説が違っているのはどうしたことか。・・・それは時処位の違いによって、学んだことが違うからだ。富田・斎藤の諸氏は、旧相馬の藩士で、この道を相馬の領国に行おうとして修行した人だ。私は平民だから、この道を平民社会に行おうと修行したのだ。師、二宮翁の教えかたも、それぞれの志のありかを察して、富田には上から下に施す方法を教えられ、私らには下にいて朋友相結んで行うように教えられた。これが、一つの報徳が二途の形をなした原因であるが、行きつくところは変わりはない。もともと報徳の道は一つであるが、実施する場合には、上から下に施すのと、下にいて朋友相結んで行うのとの二つになる。


上から下に行ったのは、相馬・下館・烏山・細川候の領内などである。その実効のすみやかなことは、大河をせきとめて低い方へ流し、田を耕すようなもの、その進行の早さは汽車も郵便も及ぶところでない。ところが、下にいて朋友相結んで行う場合は、その進行の遅々たることは言語道断で、実に天と水たまり、月とすっぽんぐらいの差があるけれども、平民たるわれわれがこの遅々たるやりかたをきらっていては、ほかに行うべき方法がない。だからして、ただ、うまずに勤めるよりしかたがない。・・・もし、天の愛護に万一の僥倖があって、大臣・参議と生まれかわることでもあったら、勅許を得て、高田・斎藤の諸氏が学んだ方法によってこの道を天下に行うだけのこと、そのときは何もささやかな結社法を行う必要はない。しかし、もし再び平民と生まれたならば、やはり今日のように結社法に従事し、「その位に素して行い、そのほかを願わず」の教えを守るだけの話である。・・・