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よろづ天道まかせで

取捨に迷ふ

どうも判断に迷うのが生活の一面のようだ。取捨選択しかねて、あれこれの理屈・批評に深入りし、人の判断を参考にするが、キリというものがない。奥田正造は『爐邊閑想』の、法然上人御練行に言及する条で、こう言っていた。

「精微な理論は知的興味をそそつても、日常の靈光とはなりにくい。・・・たとえへどんな凡事でも精進といふ努力にみがかれると不可説の光を放つ。徒に批判的に考へるだけでは取捨に迷ふにすぎない。」
(奥田正造、『爐邊閑想』、文部省教学局編纂、日本精神叢書二十七、昭和15年、p.30.)

たしかに、批判的に考えるばかりでは判断の迷いが深まるばかりで、取捨が決まらない。凡人だから、不可説のような、ことばでは説明できないような境地に至りたいというわけはないが、迷い少ない日常には凡事に精進する習慣で心をつくりゆくことが大事なのかもしれない。まず動き、そして努める、そうすれば取捨選択の能力も磨かれていくにちがいない。