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よろづ天道まかせで

つぶつぶと

ネットでブログが流行るようになり、それで遊び始めたのはいつの頃か。そのうちマイクロブログが出てきたので、ツイッターなどを利用し始める。最初はつぶやきと言われて、なんだか奇異な感じがした。しかしそれにも慣れて、つぶやくようになった。しかしどこが楽しいのか、最初はよくわからなかった。いまは楽しませてもらって、いささか飽きがきているところだが、たぶん、つぶやくということには、本居宣長が下記のように言う事情があるのかもしれない。

「心のうちにこめ忍びがたき事あらむに、其事をひとり言につぶつぶといひつゞけても、心のはれぬ物なれば、それを人に語て聞すれば、やゝ心のはるゝ物也。」
本居宣長、『石上私淑言』、上巻、雄山閣文庫、昭和12年、p.43.)

ネットでつぶやいても、独り言には違いない。直接、誰かに語って聞かせるように、生の感情の交流があるわけではない。しかし誰かが読んでくれているかもしれないということはある。心の晴れる具合は実際に誰かに話すほどではないだろうが、少しは晴れるのかもしれない。だからつぶやきとはいいながら、独り言ではない。しかしマイクロブログもずいぶん広まって、いまや情報伝達のなくてはならぬ基盤に成長してしまった。心の晴れる、晴れないはあまり関係なくなってきているのかな。