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よろづ天道まかせで

間断なき

「・・・つとめは一念独知(いちねんどくち)の知にあり。寝(ね)つ起(おき)つおこたりある様に見えても、病者か老体かにて、気疲れては休み気力付(つき)ては起きてつとめ、独知に暫くの間断なき人あるべし。・・・
(『集義和書』)

さて今日も一日、がんばるか。しかし歳を重ねきて以前ほどには仕事をこなせなくなったか。

ここで、努めて行うことは一念独知のなかの知、つまりじぶんの判断する力にあるという。一念といえば思いこみ、一つことに専心しているような強い意味が思い浮かぶが、単にふと思い浮かんだ一つの考えも指すことがある。だからじぶんが普段取り組んでいることはさほど強い信念のごときものでもないかもしれない。そうしてそれは自分ひとりの知であり、それを働かせることのなかにある。

さほどこだわっているわけでもないが、そうした作業は以前に比して怠りあるように感じても、病気や年老いても、疲れたら休み気力が出てきたらするという具合でとぎれることはないのだという。

そうだな。仕事量やその速い遅いよりも、とぎれなくやっていることがいいと思うことにしよう。