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よろづ天道まかせで

昼強盗

「爰米などの借(し)かたする者有(り)て、其利息を取るを見るに、壱割二割と名付(け)て借す。其壱割といふは、米壱斗に付一ヶ月に米壱升、三割といへるは、米壱斗に弐升の利なり。是を金銀に直してつもり見れば、彼車銭の利息に、まさりはすれども、おとりはせず。それさへ有(る)に、米を借(り)うけて取(り)かへり、升数を見れば、譬(へ)ば壱斗の米も九升四合五合に過(ぎ)ず、又返進の時に至(つ)て升数壱斗にまだ余分も有(る)やうにして持(ち)ゆくに、借り主はかりて是を取(る)とき、壱斗の米を又九升五合か三合にはかりて取(る)。然れば借(す)時の五合と、取(る)時の五合と、往来(ゆきき)壱升のかん米を見るときは、定(ま)りの外の利分にして、壱割といへども弐割の余にもあたる。斯(く)のごときの升目を遣ふて、利の外に得(とく)を取るは、彼しほの長次郎が牛を呑(のみ)より、上手なる升どり。二升をつかはぬと云(ふ)斗の事にて、二升よりはすさまじき、昼強盗(ひるがんどう)ともいふべきなり。
(『教訓世諦鑑(きょうくんせたいかがみ)』)

米の貸借につく利息、カネの貸借に付く利息にまさるともおとらないと。

加えて、カネと違って実物。計量のさいのごまかしがある。貸すとき少なめに計量して渡し、返すときも少なめに計量して余計に返却させる。これでは益軒が昼強盗というのもわかる。

江戸時代、米の融通もずいぶん行われていたようで、年貢の納税期限が12月中頃だったことで、農民にしてからが、稲刈りから納税期までの期間、米を運用しようとし、なかには商人に騙されるものもおり、幕府がたびたび警告したとの話を読んだことがある。それだけ米などの貸借もあったようだ。