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よろづ天道まかせで

急難の時節

江戸時代は貸借の利息が高かったと知られている。信用創造する近代的銀行システムが入る前であったということもあろうが、利息の上限が年利一割五分(天保以降は一割二分)と決められ、これを超える高利貸借に係る訴訟を取り上げないこととされていたが、現実には年利五割や七割という驚くほどの高利貸借が行われていたそうである。

こうした貸借と利息につき、貝原益軒の『教訓世諦鑑(きょうくんせたいかがみ)』、三、貪欲がよく教えてくれているなあ。少しずつ読んでみるか。

「扨又爰(さてまたここ)に金銀銭又は五穀の借(し)方の利息を評するに、通途返進の時節を定め、利息八九しゆ等の法をもつて、手形印形をなして、借(し)かりをする是大法なり。我これを論ぜず。然るに二季の節季、急難の時節に至(つ)ては、一月一倍の利息を以て、金銀を借(る)もの、大坂にても、東西南北のはしはじ、茶屋こそや、裏屋小路の日用、其日過をする類の中に多くあり。」

「貪欲」では貸し借りするものにつき、金銀銭に五穀、つまりカネと今風に言うならソフトコモディティを取り上げている。貸借が返済期日と利息を決めて契約することは決まりであり、これ自体は論じないとしている。

しかし、「二季の節季」が問題だ。二季とはお盆前と年末。節季とはふつう季節の終わりを指すが、江戸時代、掛けでの売買が決算を迎えるのが盆前と年末で、節季といえばこれを指すだろう。ツケで買った代金を支払わなくてはならない。勢い資金需要は高まる。まさに資金決済をする者たちにとって急難の時節でもあった。資金コストは急騰。月一倍とは、一月で借りたカネの二倍を返さなきゃならないということ。

こんな高利でカネを借りるものが、その日暮らしの人々のなかに多数いると貝原益軒はいう。

貸金業法の総量規制が導入されたが、今、急難の時節は二季に限らない。急難に至って資金手当しなければならぬ人々のなかには困る人も多数でるだろう。