こつじきぶくろ
喜多村信節の『嬉遊笑覧』巻之六上に、儒学者の用に立たぬ話が引かれた後で、こう語られている。
「学者は神書も仏書も歌書物語ばけものばなしの類までも多くよみて 入用次第取出すこそ好ましきことなれ 柳川幽齋の学問することは乞食袋のやうにするがよし よきもあしきも一ツに入置て用に従て使ふべしとの給ひし」
こつじきぶくろっていうのは、頭陀袋ともいうそうで、乞食や托鉢に歩く僧侶が首からさげて、貰い物をなんでも入れておく袋だそうだ。学ぶ者は、とにかくなんでも幅広く読め、そうして一つの袋に入れておく。そして、「用に従って」、取り出して使え、と。
柳川幽齋は戦国時代のころ、その教養で随一と言われたひと。やはり教養ある人は、どんな道を歩む者にもいいことを言っている。
・幅広く読め
そして
・学んだことを一つ袋に入れておけ
というのは、ポイントだなあ。中身に応じて分類し、利用するとき便利にしておこうなんて思って整理整頓に煩わされると、たいがい後から必要なときに使えなかったりする。
・「用に従て使うべし」
これも大事だなあ。
どんな知識も役立ててナンボかもしらんし。
で、考えてみれば、この二つ、いまや、ネットでみんながしてることなのかもしれない。ネットというこつじきぶくろになんでも入っていて、必要なとき検索して、知識を役立てる。入れ物をじぶんの首にさげておく必要もない。とてつもなくデカイ、こつじきぶくろがあって使える。