a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

敢(あへ)て之を侮(あなど)らんや

呂東萊、『東萊博議』の「隨(ずゐ)楚(そ)に叛(そむ)く」中の一文に目が止まる。

「君子は我の弱(じやく)を憂(うれ)へて、敵の強(きやう)を憂へず、我の愚(ぐ)を憂へて、敵の智(ち)を憂へず。弱は強の対(たい)なり。我苟(いやしく)も弱(よわ)からずんば、則ち天下強兵無からん。智は愚の対なり。我苟も愚ならずんば、則ち天下に智術(ちじゆつ)無(な)けん。後の国を為(をさ)むる者は、終歳(しゆうさい)敵の強を憂へて、未だ嘗て一日も我の弱を憂へず、終歳敵の智を憂へて、未だ嘗て一日も我の愚を憂へず。其(そ)をして敵を憂ふの心を移して自ら憂へしめば、則ち誰か敢(あへ)て之を侮(あなど)らんや。・・・

侮られるということがある。我がジャパン然り、それは組織にも個人にもあるだろう。そうなるのは侮る存在の強さや智慧を憂え、懸念するばかりだからそうなのだと。自らの弱さ、愚を憂えて、これに対処することが大事ということだな。相手のことを憂えるより自らを憂えよということか。自らの弱点を無くし、知術を得れば、侮られるということはないわけだ。