a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

自ら戒(いまし)めざる者

呂東萊、『東萊博議』の「楚、弦黄を滅す」の條りにこうある。

「天下の禍(わざはひ)は、人を恃(たの)んで自ら戒(いまし)めざる者、其最(さい)に居(を)る。天下の辱(じよく)は、人の為に恃まれて而(しか)も保(ほ)する能はざる者、其最(さい)に居(を)る。人を恃んで禍(くわ)を受(う)くる、固(まこと)に責(せ)むべきなり。恃む所の者恃むに足らずして、人を禍に納(い)るゝは、庸(なん)ぞ責むべきの尤(いう)なる者に非ずや。」

ここで「最に居る」とは第一であるという意味。尤(ゆう)なる者というのも同義で、第一だ、ということだろう。

国家も個々人も、上記に然りと思わざるをえない。人を恃んでいるなら自らを戒めているか、人に恃まれて保全すること、できるのか、人に恃んで禍を受けるようなことになっていないか、・・・

まあいつの時代も変わらん。我が国の先行きもアブナイな。