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よろづ天道まかせで

知行合一

知行合一はとにかく好みの言葉であったし、いまも変わらない。とにかくやってみなければと思っている。

これにつき、蕃山は心友と『集義和書』で、こう問答している。

心友問。知行合一といへども知(しつ)て不行者多し。知ることは易く行ふことは難し。されば知行合一とはいひ難からんか。」

知るのは簡単だが実行は難しい。知って行わざる者多い、知行合一といえないんじゃないかというわけだ。

蕃山、こう答えている。

「云。王子云。知は行(かう)の始(はじめ)なり。行は知の成るなりと。此説易簡にして得たり。知と雖(いへど)も行はざるは、始(はじめ)あらずと云事なし、よく終(をはり)有る事鮮(すくな)しといへるものなり、知ること実(まこと)ならざるが故に成ることなきなり。」

知るだけではあかん、実行しなければという感じで、「知は行の始め」に注目して解釈するより、知識が実践によって成就するかどうかに力点を置いた解釈になっているように感じられる。成るか成らぬかは、知ることの内容、「知ること実」かどうか、それによって決まると。もちろん、知識と実践の不可分離は前提だが。

なるほどと思った。貧しい知識は貧困な結果しか生まんしなあ。