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よろづ天道まかせで

連れにおくれた蝶々

松亭金水、『閑情末摘花』初編巻之中(天保10−12年)の、主人公の米次郎が独り言から。

山茶花や日あたりのよき四畳半。冬とはいへど小春日の。長閑(のど)けきまゝに蝶々の。連れにおくれて只(ただ)一ツ。つれなき命ながらへて花の露すふ在さまを。先より詠(ながむ)る米次郎が。世を感じてや独り言「アなるほどなア。この蝶々を見るに付ても。世間といふものは形(かたち)ないものだ。温(あつた)かいうちは羽(は)ぶしも強(つよ)くツて。一むれに五ツも六ツも飛(とび)あるいたものが。だんだん何所(いづく)へか無なツて。よくよく命強(いのちづえ)へ奴が一ツか二ツ。この節(せつ)まで残つているけれども。モウはやこれも大概(ていげえ)行止りがしれてゐる。春に生じて秋に死ぬ。誠に果敢(はか)ない命だと。人間の目からア見えるけれど。また人間の身の上を。天地から見る時にやア。蝶々よりもまだ。果敢(はか)ねへわけだ。それに悪く欲ばつて。人の目を掠(かす)めたり。または嘘(うそ)かたりをして。銭金(ぜにかね)を設(もうけ)やうとするなア。実に愚な咄(はな)しだ。しかし果敢(はか)ねえ身だから気随(きまま)にするがいゝ。ナンノ馬鹿馬鹿しい窮屈な否(いや)なおもひをする事はねへと思ふと悪い道へ這入(へえいる)から。左様(そう)いふ気も出さず。何卒(どうぞ)程(ほど)よくして。人にも強(あなが)ち憎まれねへで。一生を送りてへものだ。惜しい欲しい可愛といふなア。みンな煩悩だと知りつゝ。根が凡夫の浅ましさにやア。悟ることが出来ねへス・・・


「悪く欲ばつて。人の目を掠(かす)めたり。または嘘(うそ)かたりをして。銭金(ぜにかね)を設(もうけ)やうとするなア。実に愚な咄(はな)しだ。」と、悪い道にへえいった世相をみつつ、米次郎のごとく根が凡夫〜。

私は金水のこの言葉が好きなのですが、そのわけは、社会活動やまちづくりには地域通貨も含めあれこれの取り組みがありますが、そのキーワード、ネットワークについて「形のないもの」と指摘しているからです。

金水はそれを世間といってますが、早い話が、「つれ(連)」でして、かたちないものが終わるときは、誰もがひとりひとり、連れにおくれた蝶々のようになるわけです。

人はネットワークと語りながら、想像してきたものがなんであったか、体験しながら先に進むのでしょう。知れたる行き止まりも、またまた新たな連れの世間というネットワークなわけです。