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よろづ天道まかせで

死光(しにひか)り

たしか西鶴は、どこかで、死ぬときは六文あればすむものなりと言っていた。六文とは三途の川の渡し賃である。だから生きているうちにカネは使っておけということかもしれないが、それも人による。誰も縁者のいない者ならともかく、そうでない場合はカネを残す必要も説いている。

井原西鶴、『西鶴織留』巻四に、「死に光り」の話がある。

親でも子でも欲(よく)に極(きわま)る世の中なれば、死跡(しにあと)に金銀を残すべし、是れを死光(しにひか)りといふ。死別(しにわか)るゝ中にも親より妻はかなしく、妻よりは又子は格別(かくべつ)に不便(ふびん)のます物なり。


死んだ後に妻子を残すことはかなしい。万事欲に極まった世の中だからカネを残せと。それをよくぞ言ったり、死に光りとは。光るのは貨幣の黄金の輝きか。表現する言葉の的確さに唖然。