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よろづ天道まかせで

娑婆ふさぎ

老眼を自覚したときは年齢を感じた。なんだかどんどん進行している感じ。まあ仕方ないか。かなり長時間、pcを使っているし、仕事も楽しみもネットという状況(^_^)

それに歳を重ねるのを止められるわけでなし、みなよい年になっていくし。

これまた、井原西鶴、『西鶴織留』巻一にこうある。

また親仁(おやじ)もよい年なれば、尊(とうと)い所へまゐられたがましで御座る、長いきに一つも徳のない事、目がかすめば花が咲くやら、耳が遠ければ郭公(ほととぎす)もきかず、歯がぬけたれば肴に味なく、足がよわれば座敷に杖つき、娌子(よめ)にあかるゝ身と成り、一日も娑婆ふさぎ、薬代(やくだい)のつひえぬうちに、此世の埒が明けがなと、四五度いふ事を聞きける。

まったく、目はかすみ、耳が遠く、歯が抜け、足弱り、世間を一人分ふさいでじゃまなばかり、カネの使い先は医者ばかり、・・・みなそうなっていくしかないのか。

いや長生きにいくらもトクすることがあるようにしたい(^_^)