a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

心を用ひて労す

本日、久しぶりにPCを前に作業しない一日。上京し、茅場町まで出かけるが、陽気もよく、しばし心を休めたか。日本橋あたりを歩いていて、なんの気なしに、江戸、享保の頃の佚斎樗山(いっさいちょざん)の著作、『貧神夢会』の一文をアタマに浮かべていた。

仁は即(すなわち)至楽なり。求めても不可得(うべからざる)物を、しゐて求る時は、却(かえっ)てをのれをくるしめ、生涯物のためにつかはれて、安んずることをしらず。名を求むれば名のためにつかはれ、金銀を求れば金銀のためにつかはれ、器物を求る物は器物のためにつかはれ、色を好む者は色のためにつかはれ、吾が大切の心を以(もって)、他の奴僕(ぬぼく)とする事をしらず。終日(しゅうじつ)此(ここ)に心を用ひて労す。今の人は此(ここ)に巧(たくみ)なる者を智ありといふ。古(いにしえ)の人は是を愚者、小人と云。此に心を用ゆるときは、至楽と日々に遠ざかる。・・・


まあ、カネでも情報でも仕事でも、「終日(しゅうじつ)此(ここ)に心を用ひて労す」というのはよくない。たまに休みも必要か。大切の心、奴僕にばかりはしておられん(^_^)

ただし、貧神とは貧乏神を指す。心豊かな時は貧乏神と二人づれなのやもしれぬゆえ、悩ましいところか。