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よろづ天道まかせで

同然落度に御座候

信用危機のなかで貸借は縮小し、なかには返済に困るところも出てくる。いつに変わらない。

返済に行き詰まるケースでどう考えるべきか、借金で首がまわらない農民たちを数多く救済してきた尊徳の言は一顧に値するだろう。

未定稿中の文章にこうある。

或人及大借、返済方に差支、諸親類並無據面々相集り、何程評議致し候とも、返済之道無之時者、全く借用本人之落度申者御座候、依之無是非、借人方之者不残引払、其後何分難捨置、貸方者相集り、種々様々致評議候所、何も受取可申品無之時者、貸方之者一同、借用方同然落度に御座候、少も過之増減無之事候、


つまりこんないみかな。

ある人が大きな借金をして返済に差し支える、おおくの親類や頼りない面々が集まって、いくら相談しても、返済の道がないときは、まったく借りた人間本人の落ち度で、そのことで是非もない。借り方の者から残らず引き払って、その後捨て置くことができず、貸し方の者が集まっていろいろ評議して、なにも受け取ることができる品がないときは、貸し方の者一同、借り方と同様に落ち度である。少しも之に過ぎて増減これなきことなのである。

貸し方、借り方、落ち度にして同然なのである。大極からみれば、貸借の根元にまことに、増減なしで、貸し借りという契約行為でなにかが増えたということはない。貸し方も「借用方同然落度に御座候」とはよい言葉ではないか。