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よろづ天道まかせで

僻事(ひがごと)

僻事(ひがごと)といえば、事実や道理に反した間違ったことをいう場合もあるようだが、心得違いを意味している。

なかなかじぶんの心得違いには気づきにくいもの。

尊徳の天保五年五月十二日と日付の記載がある未定稿中の文章にこうある。

世人後世を願(フト)申(ス)事あり、又陰徳を行(フト)言て、内々施行する者あり、神仏(ニ)祈(テ)信心片意知(かたいち)を出(シテ)行(フ)ものあり、孝行忠心貞節品々の勤方あり、然(レ)とも皆ひが事也、右之行ひ願ものは、先(ツ)勤行根本なり、他人の作(リ)出したる米穀、炭、薪、味噌、鹽、衣類、金銀、珠玉、家財、諸道具、舟、橋、通路、用水、一切萬々不限何事、己(レ)勤農して身分(ヲ)引(キ)、余計を人に施(セ)は右(ニ)叶(フ)、人(ノ)作(リ)出(ス)者を受(クル)時は、皆々たかふもの也、勤(メ)作りて人に施は財宝(ヲ)う(得)る、人の勤(メ)作りたる物を受れは、我(ニ)備りたる財宝直に出る者也、人の作り骨おりたるものは陽徳に成る、己(レ)勤(メ)作りて人に施は陰徳に成(ル)也、不勤して今日を送るは陽徳也、勤て未得を陰徳と申(ス)也、

ひとはいろいろな望みや考えを抱くもの。そのために、陰ながら徳を積まねばとか、神仏に祈るとか、道徳の徳目を実践しようとする。しかしそれはみな、心得違いだと。

自らがまず勤労に努めること(勤労)、そうして身分を引き(分度)、余計を人に施す(推譲)がキホンであるとの指摘。

陰徳とかいうが、勤めて得ざるをそういうので、あくまで勤労がキホンということだ。これを忘れるとみな僻事になってしまうということなのか。

なるほど。勤労せずして人の作りたるものを受けているだけでは、何を言ってもひがごとか。