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よろづ天道まかせで

浮世の塵を被らせていただくか

Eiichi Morino, [02.12.20 19:24]
人間、一方向に歳をとるだけなので、どんどん歳の数が増える。やれやれだが・・・古人であれば、こう教えてくれているのだが、

「扨(さて)老(おい)たる身(み)は既(すで)に余命(よめい)の久(ひさ)しからざる事(こと)をおもひて、世上(せじやう)の事(こと)に思慮(しりよ)を用(もち)ひず、世間(せけん)の付合(つきあひ)を省(はぶ)き心(こころ)静(しづか)に安座(あんざ)して、香(かう)を焼(た)き詩(し)を吟(ぎん)じ歌書(かしよ)を読(よみ)などして、残躯(ざんく)を楽(たの)しむべし、痩(やせ)憔悴(かじけ)て見(み)ぐるしき形(かた)ちをも恥(はぢ)ず、世(よ)に交(まじ)はり、よくふかく貪(むさぼ)り飲食(いんしよく)の愼(つゝ)しみなく、人(ひと)の過(あやま)ちを咎(とが)め人(ひと)の善悪(よしあし)を批判(ひはん)し、仮初(かりそめ)にも人(ひと)を罵(のゝし)り怒(いか)りて高声(かうせい)に物(もの)を言(いひ)などするは、老人(らうじん)の行状(ぎやうじやう)に非(あら)ず、余所(よそ)のみるめも浅(あさ)ましく拙(つたな)し、歌(うた)に、あすありとおもふこゝろにはかられて、けふも空(むな)しく暮(くれ)にける哉(かな)、と読(よめ)るごとく我身(わがみ)をいつまでも有(ある)ものと頼(たの)みにおもふ心(こゝろ)より、此世(このよ)を捨(すて)かぬるなり、早(はや)く浮世(うきよ)の塵(ちり)を遁(のが)れて、麗(うるは)しき花(はな)の陰(かげ)につれづれを忘(わす)れ、蒙想(もうさう)の雲(くも)を払(はら)ひてくまなき月(つき)に心(こゝろ)を澄(すま)しむべし、都(すべ)てよつの時(とき)移(うつ)り替(かはる)けしきに眼(まなこ)を付(つけ)て、常(つね)ならぬ世(よ)の有様(ありさま)を観(くわん)じ、心(こゝろ)を無可有(むかう)の郷(さと)に遊(あそ)ばしめ、安(やす)らかに天命(てんめい)を盡(つく)すべしといへり、歌(うた)に、こゝろをし無可有(むかう)の郷(さと)にうつしなば、身(み)さへ藐姑射(はこや:引用者注;仙人が住んでいるという想像上の山;「荘子」逍遥遊の例より。)の山(やま)に遊(あそ)ばむ。」

(著者不詳、『我身のため』巻三、文政六年、1823。)

まあ、人間死んだらオシマイと思うが、老残とは、これがよいかな。とはいいながらまだ血の気が多いので、よそ目にみっともなくみえるかもしれないが、なるたけ見苦しくないようにこころがけながら、いましばし、浮世の塵を被らせていただくか。