自分の箸と茶碗
#柳田國男
新知識が大量にかつ雑駁に登場する勢は止むことはない。一人の人間が消化できる量などとっくの昔に超えてしまっている。まじめに付き合おうとしても個人の能力などたかがしれている。
そうした状況のなか、柳田國男はこう語っていた。
そうするとここに選択ということが非常に大切になり、それと同時に有益な学問、必要な智識の他に、無用または時としては有害な智識というものも、想像し得るようになった・・・。従って我々自身の方にも最初から適当なる箸と茶碗とを用意してかかるのみならず、少なくとも人の説の矛盾を発見し、二つ以上ある説のいずれかに従うかを決するために、費やし得る力を貯えておかねばならぬ。
(柳田國男、「地方学の新方法」)
たしかにメディアやネットにこれだけ、有益無益の雑駁な情報があふれかえると、自分の箸と茶碗、人の説の矛盾を見抜く力量が必要になる。
選択するのも容易ではない。疲れるばかりだわ。