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よろづ天道まかせで

空談

「・・・知(ち)は理(り)なり。今の理を窮(きは)むと云ふは、書の上にて文に即(つい)て講明(かうめい)し、或は空談に議論す。これ物に即(つい)て理を窮むるにあらず、文を以て友を会すると云ふものにて、友を以て仁(じん)を輔(たす)くるには至らず、・・・」
(『集義和書』)

たしかに、文を以って友を会する空談には飽き飽きした感じもする。

「友の信において、過るを磨し不足を補ひ、互に過ちを告げて相(あひ)輔(たす)くる」
(同上)

という友を以って仁を輔けるという姿勢で生活する環境に身を置きたいものだ。