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よろづ天道まかせで

隠に在りて顕に在らず

ウィキリークスのケーブルゲートで、陰の部分が次々明らかになり、米国のやり口がわかるので、それを伝える情報を読むのが楽しくて仕方ない。

「人を観るの術は、隠(いん)に在りて顕(けん)に在らず、晦(くわい)に在りて明(めい)に在らず。顕と明とは人の畏(おそ)るゝ所なり。隠と晦とは人の忽(ゆるがせ)にする所なり。人の畏るゝ処は、小人と雖も、猶ほ自ら飾ることを知る。人の忽にする所は、君子と雖も疵(きず)無きこと能はず。・・・」
(呂東萊、『東萊博議』)

人に限らず、国家や政治の動きまで、その表面の明らかなるところでは自ずと飾られた姿があり、本当のことはわからん。陰の「隠と晦」の部分では、つい忽せになって真実が晒されている。まことに、「君子と雖も疵(きず)無きこと能はず」である。