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よろづ天道まかせで

「蓋(けだ)し事に善悪有り、而(しか)も念(ねん)には善悪無し。是(こ)の念、事の善なる者に加はれば、則(すなは)ち善念と名づけ、事の悪なる者に加はれば、則ち悪念と名づく。・・・
(呂東萊、『東萊博議』)

ここで念というのは早い話が人間の意思ではないかと思う。意思のないところになんの成就もないわけだから、自己や世の中を見るにつき意思主義的光景は常に重要だろう。その念がなにをなさんとするか、事の善悪がその意思の善悪を決めるというわけだ。事というのは大事だな。