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よろづ天道まかせで

農夫の陰に之が為に耕す

「天下の僥倖にして帛(はく)を得ること有る所以の者は、蠶婦(さんぷ)の陰(ひそか)に之が為に織るを以てなり。天下の僥倖にして粟を得る有る所以の者は、農夫の陰に之が為に耕すを以てなり。如(も)し天下をして悉く耕織(かうしよく)を厭ひ、其機(そのき)を焚き其耒(そのすき)を斧(おの)にせしめば、則ち巧術有りと雖も、何に従つてか粟帛を取らん。皆将に家に凍えて塗(と)に餒(う)ゑんとす。彼僥倖にして功利を収むるは、豈(あ)に真(しん)に其力ならんや。」
(呂東萊、『東萊博議』)

9月に入る。そろそろ新米の季節だ。毎年、知人の農家から玄米で60キロほどお米をわけていただき、一年かけて、食べ尽くす。昨年購入分はそろそろなくなりかけている。

まことに、衣食得ているのは、農業のおかげであり、手に入るは僥倖といわねばならない。人、功利を争い、得たとしてもその基礎には「農夫の陰に之が為に耕す」がある。

なお、ここで「塗(と)に餒(う)ゑんとす」とは路上に餓死するという意味。