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よろづ天道まかせで

人世運歩の理

お盆は新暦でする地域に暮らしているので、お盆休みは無関係ともいえるが、世の中がなかば止まっているので、かっこうの夏休みである。普段なかなか会えぬ人とも会う機会がある。茶菓など楽しみ、話がはずむ。あそこのなんとかという菓子はうまい、どこそこのナニは評判ほどでもないといった他愛ない話も混じる。

そこで、菓子のような些細なことに関連して佐藤信淵の述べていたところが思い出された。

「凡そ菓子の製法は四五十年以来、皇国に於て沙糖を夥しく作出することに為りしより、其味美なること古に十倍せり、故に僻境偏土の小民に至までも、皆沙糖を甜り、煎茶を喫ることに為れり、是固より頌賛(ほむ)べきの事には非ざれども、所謂る人世は粗より精に入り、朴より文に漸(すすむ)の運歩にして、此亦天意なり、是以て能く此人世運歩の漸する事体を察して、予め其国政を損益し、経済道を精妙にして、百姓を富厚ならしむる、此を時務を知るの英傑と云ふべし、若し夫れ人世運歩の理を察することを知らず、予め備べきの思慮も無く、唯呆然(うかつ)として日月を消るときは、年を経るに従ひ、其国次第に衰微して、上下共に困窮に迫る者なり、故に此條の菓子等は極て瑣細なる物産なれども、自国に製して他邦に売り出すと、他邦より買ひいれて食ふとの差は、実に雲泥万里の損益あり、不可不察也。」
(『経済要録』)

人の漸化のなかで、次第に茶菓を楽しむようになり、消費が文化的となるのは趨勢というもの。たとえ菓子といえども、より甘美なるものを他所に求め購入していたのでは、自地域は衰微する。他所にうまいものがあれば自地域ではそれに勝る旨い物を作り、地場で消費するばかりか他邦に売りに出す必要ありと。近世農学者に共通する国用国産の考えである。

来客の持ち来す珍しい菓子に感心し、便利な世の中、ひとつ取り寄せてみるかとなれば、その購買力は些細ではあるが、発注先の地域へ向かう。我が身生活を立てる地域にうかつに時を過ごさぬ事業者を期待したい。そしてなにより、「百姓を富厚ならしむる」為政者が欲しいものだ。貧しく購買力に欠ければ「人世運歩の理」についてゆけない。