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よろづ天道まかせで

路中の游手

佐藤直方の「冬至文」には、聖学を務めずして俗学を事とする人間は「路中の游手」であるとの言葉があるという。游手とは手足動かさずぶらぶらしている存在をいう。路中は街中を指すのだろうが、今日、ネットを含め路中はいろいろ。そこで聖人の学を務め、世の大道を担うほど立派な存在ではないが、街の中やネットでぶらぶら遊ばないように心したい。俗事、俗学にとらわれネットで游手のごとく遊びほうける時間が知らずに増えてきてしまっている。ちと反省せなあかんか。