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よろづ天道まかせで

一文は無文の師

「・・・一文は無文の師といへば、愚(ぐ)の如き者も虚名に居て人の師とならば、成りもこそし侍らめど、・・・
(『集義和書』)

無駄に過ごしてきた時間が多いようにも思うが、それなりに歳を重ね、若い人から物事を尋ねられるときがある。たいした答えなぞ持ち合わせてはいないが、それでもたった一文でも一銭ももっていないよりましか、わずかな一文の知識を披露させていただくこともある。しかし、ふと気づくと無文のはずのお尋ねるになる方のほうが知識にあふれているようにみえる。

まあ今はなんでもまず、わからないことがあればグーグル先生に聞けるから、ウソにもホントにもすぐアクセスできる。いずれかの判断はじぶんでしなきゃならないが、いい時代になったものだ。知識の持ち合わせも一文から、二文、三文へと増えていくか。しっかり勉強しなくてはいかんな。