a1ma1mブログ

よろづ天道まかせで

金銀財貨の力を頼まず


金銀財貨の力を頼まず

たいへんな時というのはあるもの。荒廃、喪失、恐慌・・・そうしたとき、こんなにひどくなったと嘆かず、始めに戻るだけという教訓。自力で切り開くのほかなしか。

「郡村困窮致難渋、或は死潰(しかい)、又は離散、致田畑手余、終に荒地罷在り、亡所退転相成、人々口すさみに、如此(このごとく)世中(よのなか)末(スエ)に相成候と申候、田畑荒れ、人家衰ひたるをみては、皆末なりと申、尤其理なきにあらす、物皆大凡(ものみなおおよそ)始め細く、中程太く、終り細くなる物なり、雖然(しかりといえども)世界一円破却したるにもあらずば、又春生し秋枯るゝものとも違ひ申候、人皆世中をさかさまに見て居る故なり。元荒地より初て、自然田畑開け、郡村盛なりたるなれは、古に帰りたる者也、帰発せんと欲する時は、今貴盛なる世並風儀を捨て、古へ敷島原に立戻り、通路橋舟もなく、只一人草野生得たる時、草木の芽立若葉、或は実法(みのり)取食ひ、若葉の露をなめ、窪き所の流を呑み、又虫魚鳥獣を食ひ、露命を繋ぐ外これあるましく候、国祖 天照大神の御代に立戻り、金銀財貨の力を頼ます、誠意一ツを種として、今日草の実法を集め、木草の根を堀り食ひ、木葉葉木皮を集め、寒暑を凌き、今日を営み余力ある時、水辺湿地見立切り起し、稲を植得実法食(みのりをえてしょく)し、其味草木の根、木の実草の実と違ひ、うまき事無極(きわまりなし)、右為報恩沢、半分食ひ半分開発入用に除置(のぞきおき)、」(以下欠文)(二宮尊徳、「未定稿」)