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よろづ天道まかせで

隠市(いんし)の散人(さんじん)

山片蟠桃の『夢の代』は好きな書物のひとつ。とにかくその自叙からして好み。

自叙
夏の日の長きに倦(う)みて、枕を友とし眠らんとせしが、忽(たちまち)思ふに、「我既(すで)に齢(よわい)五十にすぎて、徒(いたずら)に稲をくらひ布帛(ふはく)を衣(き)て、枕にのみなづむは、口おしきことに非ずや。然りといへども世教(せいきょう)におよび人を治むる事は、我等しきの任にあらず。責(せめ)て我(わが)竹山・履軒二先生に聞(きき)たる事を書(かき)つらねおきて、子孫の教戒にもせば、此上の本望ならんか」と硯に向ひて書始(かきそめ)しより、日々に眠り萌(きざ)さんとすれば、忽におしまずき(注:机のこと)によりて、筆をとり書つける而己(のみ)。その中には、国家のことに及ひしこともあるべきなれども、咎(とが)むべからず。唯是(ただこれ)一家の事のみ。他人の見る書にあらず。此巻はじめは睡(ねむり)をとゞめてかきしまゝに、宰我(さいが)の償いと題せしに、履軒先生難じて、夢の代(しろ)とあらため題すといふのみ。享和弐年歳星[さいせい:年回りの意]いぬにやどる夏六月吉旦[注:吉日の意]、隠市(いんし)の散人(さんじん)これを記す。

蟠桃が自称、隠市(いんし)の散人(さんじん)、いいなあ。散人、「唯是(ただこれ)一家の事のみ。他人の見る書にあらず。」と言っていますが、万人や読むべし。