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よろづ天道まかせで

ひら

ネットワークの時代は、社会が位階的なものからひらの、ヨコのつながりへと変遷してくることを自覚させる。ネットワークにつながることは平等な関係のなかに身を置くこと。たいらかであることがネットの条件でもある。位階性においては、ステータスの上下、権限の位階、労働の場の職階、みな競争と争い、優位を巡る争いが特徴だが、ネットの時代はその様相を変えてきたといってよいかな。

ネットにも争い、諍いのたぐいが満ちているようにみえるけれど、それはひらの、ひらどうしの相互の尊重を欠いた実際社会の反映のようだ。ただいまの人々も、平等とか「ひら」とかいうが、昔は、

日本国中(わがおほみくに)は太平(ひら)一統(いちめん) 和語(ことば)が通辞(わか)るほどならば(為永春水、『春色梅美婦禰』)

という表現があった。日本国中をみわたして、ひらいちめんと言っているわけ。位階的な建造物が建て込んでいたら、みわたせない。見渡して開ける光景は、太平、つまり泰平、平和な景色。争いは位階的構造をなす建物のなかで展開されるだけとも思える。

ステータスではなく、ロール(役割)が連携するネットワークは見晴らしもよく、「いちめん」である。

よく、都会の景色を見て、摩天楼競い合うは、なんだか「甍を競う」ごとく、いい風景じゃあないと感じる。国民貧しくして、企業の高層ビルの並び立つは「へいわ」とは反対のある不穏さを醸し出しているかのよう。そう感ずるのは私だけかもしれないが、ひらいちめんに見渡せるなら、あとはことばを使いコミュニケーション。

高みにあるのは富士山だけでよく、どこにいても富士見村。つまりは「美」だけが君臨する「おほみくに」。