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よろづ天道まかせで

鈴ヶ森

昨年、品川から旧東海道を歩いて鈴ヶ森刑場跡まで行ってみた。

黙阿弥の長編、『蔦紅葉宇都谷峠』の最後の大詰めの場が、品川宿海禅寺の場から、鈴ヶ森の場へ煮詰まり結末を迎えるところを読み返してみたから。

座頭の文彌殺しの十兵衛が、仁三(にさ)を神奈川の宿にいけばカネを貸せると連れだし、深夜、品川を発ち神奈川へ。鈴ヶ森で切り捨てんとの魂胆。その場の情景を黙阿弥はこう設定している。

本舞台向う一面の黒幕、藪疊み、真中に題目の大石塔、上手に石地蔵、下手にお駒の捨札、所々に松の立木、総て鈴ヶ森夜の体。時の鐘、雨車。波の音にて道具留る。と上手より以前の十兵衛半合羽、脚絆、草履、一本差し、小田原提灯を提げ、仁三尻端折り番傘を相合にさし出来(いできた)りて、

と。

真夜中、雨もふる。刑場の大石塔があり、捨札。捨札とは、処刑された者の氏素性、罪等を書き記した立て札で、30日間、立てられるもの。海岸淵なので、松の大木、そこを傘を相合にして十兵衛と仁三、さしかかる。

十兵 今までいゝ天気だったが、ぱらぱら降りでまつくらになつた。
仁三 もう何時(なんどき)だらうね。
十兵 さうさ、品川が引過(ひきすぎ)*1だから九つ半でもあろうか。
仁三 夜(よ)が更けたせゐか、べらぼうに寒い。
十兵 どうか、雨もあがつたやうだ。
   ト雨車止み、仁三傘をすぼめ、下手の捨札を見て、
仁三 まつくらで知れねえが、この捨札は何だしらぬ。
十兵 なに、そりやあ材木町の白木屋の娘の捨札だ。
仁三 あゝ噂のあつた主殺しかえ。
十兵 存命ならば磔刑(はりつけ)だが、死んだが増しか捨札ばかり。南無幽霊頓生菩提俗名お駒南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
   トちよつと捨札へ回向する。
仁三 お前(めえ)知る人かえ。
十兵 あい、私が弟の縁により、白木屋は親類さ。
仁三 この捨札を見るにつけ、悪いことはしたくねえ、どうで始終は廻しの上、ばつさりやられて板附と覚悟はしてゐるけれど、紙幟や捨札を見ると、身の毛がよだつやうだ、あゝ鶴亀鶴亀。
   ト身震ひする。
十兵 誰しも命はをしいものだな。(ト十兵衛わざと提灯の明りを消し)南無三、躓いて灯りを消した。
仁三 こいつァまつくらで、歩きにくい。
   ト仁三行きかける。十兵衛後ろから一腰を抜き切らうとする。仁三刀の光りに振返り十兵衛と顔見合せる。十兵衛ひらりと刀を後ろへ匿す、仁三これを見て、
    十兵衛さん、お前さん何で抜きなすつた。
十兵 え、さあ灯りがありやあいゝけれど、くらやみぢやあ険難(けんのん)、それ故脅しに抜いたのだ。
仁三 いや、さうぢゃああるめえ。お前おれを切る気だろう。
十兵 なんと。
仁三 神奈川まで行ったなら、金を貸さうと連れ出して、人通りなき鈴ヶ森、文彌もどきにばつさりと、こゝでおれを切る気だらうが、その手は食はねえ、止しにしやれ。

と十兵衛の魂胆を見抜く仁三、十兵衛、切らねばならぬ事情を吐露して、斬りかかり、傘で応戦の仁三と大立ち回りの鈴ヶ森。このクライマックスの迎える顛末は言わない(ご興味のある方は黙阿弥の作品をお読み下さい)、実際に鈴ヶ森刑場跡に立つ大石塔をみて、このくだり、彷彿とした。

品川宿のあったあたりには、海禅寺の場の、当の海禅寺も実際にあるし、旧東海道を歩くのはなかなかよい。ただし歩いたときは、海禅寺の近辺は、××不動産が大規模なマンション建設を地元の反対を押し切って強行の最中。昔の風情も破壊される一方の現実はあるが。

*1:引過とは夜中十二時ころのこと