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よろづ天道まかせで

もとを知らず

貧富という。しかし、その本を知ること、因って来たるところを知るべきなのだと思う。尊徳『夜話』中にこうある。

分度とはなにかよく理解させてくれる。

翁曰、貧となり富となる、偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財は富者の処に集ると思へども、然らず、節倹なる処と勉強する処に集るなり、百円の身代の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく、貧の来る事なし、百円の身代を、八十円にて暮し、七拾円にて暮す時は、富是に帰し財是に集る、百円の身代を、百廿円にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只分外に進むと、分内に退くとの違ひのみ、・・・世人今なきも其無きもとを知らず、夫今有物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬ば今有し銭のなくなりしは、物を買へばなり、今無き銭の今あるは、勤ればなり、・・・